<?xml version="1.0" encoding="UTF-8"?><rss version="2.0"
	xmlns:content="http://purl.org/rss/1.0/modules/content/"
	xmlns:wfw="http://wellformedweb.org/CommentAPI/"
	xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/"
	xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom"
	xmlns:sy="http://purl.org/rss/1.0/modules/syndication/"
	xmlns:slash="http://purl.org/rss/1.0/modules/slash/"
	>

<channel>
	<title>きむらゆういち試行錯誤作品展 &#8211; CANVAS  | 遊びと学びのヒミツ基地</title>
	<atom:link href="https://canvas.ws/tag/%e3%81%8d%e3%82%80%e3%82%89%e3%82%86%e3%81%86%e3%81%84%e3%81%a1%e8%a9%a6%e8%a1%8c%e9%8c%af%e8%aa%a4%e4%bd%9c%e5%93%81%e5%b1%95/feed" rel="self" type="application/rss+xml" />
	<link>https://canvas.ws</link>
	<description></description>
	<lastBuildDate>Fri, 17 Mar 2017 02:45:43 +0000</lastBuildDate>
	<language>ja</language>
	<sy:updatePeriod>
	hourly	</sy:updatePeriod>
	<sy:updateFrequency>
	1	</sy:updateFrequency>
	<generator>https://wordpress.org/?v=6.6.5</generator>
	<item>
		<title>第3話：セオリーは破るためにある</title>
		<link>https://canvas.ws/magazine/talkarchive02_03</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[wpadmin]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 17 Mar 2017 02:44:49 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[きむらゆういち試行錯誤作品展]]></category>
		<category><![CDATA[きむらゆういち]]></category>
		<category><![CDATA[えほん]]></category>
		<category><![CDATA[amu]]></category>
		<guid isPermaLink="false">http://canvas.ws/?post_type=magazine&#038;p=13577</guid>

					<description><![CDATA[&#160; セオリーを崩した『あらしのよるに』のストーリー構造 &#160; 最後に、『あらしのよるに』のお話をうかがいたいと思います。この作品は前半でうかがった、きむらさんが絵本をつくる時のセオリーを崩されたと聞きま [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>&nbsp;</p>
<p class="rep">セオリーを崩した『あらしのよるに』のストーリー構造</p>
<p>&nbsp;</p>
<p class="icon1">最後に、『あらしのよるに』のお話をうかがいたいと思います。この作品は前半でうかがった、きむらさんが絵本をつくる時のセオリーを崩されたと聞きました。それは、どういうふうに崩されたか、そしてなぜか、実際にどうだったのか、ということについてお聞きしたいです。</p>
<p class="icon2">当初は1巻しか書く予定がなくて、小屋の中で2人がしゃべっているだけで終わりなんです。本当にこれおもしろいのかなと思って、たとえば冒険するとか、なにかに追われるとかやっつけるといったことはなにもない。ただしゃべっているだけです。でも書いているほうは楽しくて、お互いの正体が敵同士であるということがばれそうでばれないという新しい実験をした。で、たまたま編集者に、続きを書いてみない？　と言われて続きを書くまでの間に講談社出版文化賞や、産経児童出版文化賞をもらってしまった。みんながお祝いをしてくれて、散々褒められて、さて続きは？　というプレッシャーがかかって大変だったんです。</p>
<p class="icon1 fixH">プレッシャーを感じられることもあるんですね。</p>
<p class="icon2">感じますよ。沖縄に半月行って書こうとして2行しか書けないで帰ってきました。</p>
<p class="icon1 fixH">そうですよね、もともと1巻で完結の物語だったんですもんね。</p>
<div class="post-img">
<p><img fetchpriority="high" decoding="async" class="aligncenter wp-image-13580 size-full" src="http://canvas.ws/wp/wp-content/uploads/2017/03/kimura04.jpg" alt="" width="800" height="584" srcset="https://canvas.ws/wp/wp-content/uploads/2017/03/kimura04.jpg 800w, https://canvas.ws/wp/wp-content/uploads/2017/03/kimura04-300x219.jpg 300w, https://canvas.ws/wp/wp-content/uploads/2017/03/kimura04-310x226.jpg 310w, https://canvas.ws/wp/wp-content/uploads/2017/03/kimura04-480x350.jpg 480w" sizes="(max-width: 800px) 100vw, 800px" /></p>
</div>
<p class="icon2">そうなんです。あくる日に会っただけでその後どうなるかそんなことは知らないよと終わる、粋な終わり方もいいなと思って気に入っていたんですが、半分ぐらいの人に無責任だと言われました。でもあれがいいって言う人もいた。じゃあ続きを書くかと思っていたら、ある出版社が別件で缶詰にしてくれた。もう好きなだけ泊まって好きなだけ食べていいから、うちのために原稿書けって言ってくれたの。で、その原稿はさっさと上げて、『あらしのよるに』の続編を持って、缶詰になった。出版社の人がみに来たときだけ、『あらしのよるに』を隠す。受験勉強のときに漫画を隠していたようにしてできたのが、2巻目なんです。全7巻ができてみたら、構成は「起承承承転結」に近い。 1巻目は子ヤギだけ出てきて、これは「起」です。次はヤギの友だちが出てくる。メイは友だちだけど、友だちの友だちは餌でしょうか。友だちの友だちだからやっぱり友だちなのか。で、ヤギの友だちが出たら、オオカミの友だちも出てるといいじゃんと。これで、「承、承」で3巻です。4巻目の『きりのなかで』で2匹が会って、秘密がばれそうになるけれどもばれない。ここまでは「起、承、承、承」です。そして、ついに秘密がばれる。ばれて逃避行が「転」です。ちょうど5、6巻です。</p>
<p class="icon1 fixH">結がないじゃないですか。</p>
<p class="icon2">そうですね。岸田今日子さんの企画で、4巻目まででお芝居をやったんです。そのときに岸田さんから「最後はどうなるんですか」と言われて、でもヤギとオオカミだから幸せな家庭をつくりましたとはならないし、どうしようかと思いました。 それで最も悲惨な状態で、自分のために命懸けで死んだのに、片方はそのことすら知らずに名前を呼び続け、待ち続けているという終わりにした。ただ、最後は死ぬのですが、死ぬことがアンハッピーエンドだとすると、すべての人の人生はアンハッピーエンドになってしまう。ハッピーエンドかどうかは、どれだけ自分の人生を納得して生きて終われるかということだと思います。飢え死にしそうな雪穴の中でこんな友だちができたことだけで幸せですと確認し合っている場面があれば、そのあとが悲惨でもそれなりの納得感があって終われるかなと思いました。悲惨な話っていい話でも二度と読みたくない。どんなに『かわいそうなぞう』がいい話でも、もう1回読んで泣きたいなとはあまり思わない。<br />
それでも『あらしのよるに』は何回も読みましたという話をいっぱい聞いたので、これは成功したなと思ったら、続きの話を書けと言われました。ガブともう1回会わせろというのがものすごくいっぱいきて、それでも書かないぞと決めていたんですが、講談社に「続きはいつ出るんですか」という電話がかかってくるというので、ついに書きました。7巻は最初の合言葉で記憶が戻って終わるのですが、なにかまるで計算したようにこれで「承、承、転、結」ができた。全然考えていなくて結果的にできたので、すごいなあと思います。</p>
<p class="icon1 fixH">「承、承、転、結」が身体に染みついていたんじゃないですか。</p>
<p class="icon2">だから増築を重ねた温泉旅館みたいに人気があります。なぜか1段高いような旅館をつくったのに、できあがってみたら最初から設計していたような「起、承、承、承、転、結」だったので僕もびっくりです。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p class="rep">読者の感情移入先がない『あらしのよるに』</p>
<p>&nbsp;</p>
<p class="icon1">1巻目で本当にもうそれで終わりにしようと思っていたのですか？　やはり、そのあとどうなったんだろうと思われると思うのですが、それは自分たちで考えてもらおうということでもなく、単にこのほうが粋かなと考えたということでしょうか？</p>
<p class="icon2">盛り上げるだけ盛り上げといて、ぽーんっていうのもいいのかなと思ったんです。この2匹がどうなるか、そんなことは知らないよ、伝わるもん、いいじゃないそんな本があってもと。まさか全7巻できるとは、作者もびっくりです。</p>
<p class="icon1">教科書にも載って、歌舞伎にもなって国民的な作品ですね。でも今回このストーリーは、先ほどの話のセオリーを破るようなお話ではあると思います。読者が、メイにもガブにも感情移入できない第三者として読める。</p>
<div class="post-img">
<p><img decoding="async" class="aligncenter wp-image-13581 size-full" src="http://canvas.ws/wp/wp-content/uploads/2017/03/kimura05.jpg" alt="" width="800" height="584" srcset="https://canvas.ws/wp/wp-content/uploads/2017/03/kimura05.jpg 800w, https://canvas.ws/wp/wp-content/uploads/2017/03/kimura05-300x219.jpg 300w, https://canvas.ws/wp/wp-content/uploads/2017/03/kimura05-310x226.jpg 310w, https://canvas.ws/wp/wp-content/uploads/2017/03/kimura05-480x350.jpg 480w" sizes="(max-width: 800px) 100vw, 800px" /></p>
</div>
<p class="icon2">そうですね。すべての物語、テレビドラマ、絵本、小説には主人公がいて、主人公に感情移入して読んでしまう。たとえばカーチェイスの場面では、主人公が危ない目に遭うからどきどきします。絵本も主人公に感情移入しやすいから、この作品は自分以外の第三者の気持ちになれるのがいいんじゃないですか。この物語はヤギとオオカミが出てきて、ヤギに感情移入して読んだ人とオオカミに感情移入して読んだ人がいると思います。ですが、1巻目を2 匹を見守る気持ちで読んだ、という人が多いんです。主人公たちが真実を知らないから、感情移入しても……ということだと思います。読者だけが両方の立場を知っていて、ばれたら大変だな、と思いながら読んでいる。</p>
<p class="icon1">おもしろいですよね。主人公の2人が知らないからこそのドキドキ感って教えてあげたいのに教えられない。なぜそういう視点で書きたいと思ったんですか？</p>
<p class="icon2">実はそういう視点の作品が、大人向けでもある。たとえば『水戸黄門』です。「この薄汚いじじいが」とか言われているけど、この人は天下の水戸黄門なんだと観客は知っている。『釣りバカ日誌』でも、「ぼけじいさんから電話だぞハマちゃん」と言っている佐々木部長は、ぼけじいさんの正体が社長であると知らなくて、観客は知っている。読者だけが知っているお話っていっぱいあるんです。子どもの本でやるとしたらなにかなと考えたら、天敵というところにたどり着いた。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p class="rep">「もっと良くできる」という見方</p>
<p>&nbsp;</p>
<p class="icon1">『水戸黄門』や『釣りバカ日誌』をみて、そういう視点を持つのがすごいと思うのですが、テレビ番組などを「おもしろさのポイントはなんだろう」と思ってみるのですか？</p>
<p class="icon2">そうですね。つまらない映画をみると、「こんなに期待させておいて、もっとおもしろいと思ったのに」という不満がたまる。あ、じゃあそれをつくればいいなと思って自分でつくる。つまんない映画を見たときほどアイデアが浮かびます。<br />
『ルームメイト』という映画があって、ルームメイトがだんだん恐ろしい存在に変わってくる話なんです。結局は、そのルームメイトは精神異常者というオチだったんですが、僕は親友同士でも小さなことで傷がだんだん広がって、仲いいふりをしているけど、殺意に変わってしまう日常の恐ろしさの話を期待していた。もっと日常の感情が最後に悪夢に変わるほうがおもしろいと思ったんです。だから、『月の裏側』という漫画でやりました。親友の2人が最後は殺しあうという人の心の裏側を書きました。「いちむらゆうき」というペンネームなので、だれも知らないと思うんですけどね。</p>
<p class="icon1 fixH">なんでペンネームで書いたんですか？</p>
<p class="icon2">並べ替えると「きむらゆういち」なんですけど、女性雑誌だったので、女性名っぽい、「いちむらゆうき」にしたんです。そうしたらファンレターに「この気持ちは、男性にはわかんないわよね」とあって「やった！」と思いました。</p>
<p class="icon1">人間の感情の機微にすごく敏感で、きっと恋愛上手なんだろうなと思いました。女性心をくすぐる。</p>
<div class="post-img">
<p><img decoding="async" class="aligncenter wp-image-13578 size-full" src="http://canvas.ws/wp/wp-content/uploads/2017/03/kimura011.jpg" alt="" width="800" height="584" srcset="https://canvas.ws/wp/wp-content/uploads/2017/03/kimura011.jpg 800w, https://canvas.ws/wp/wp-content/uploads/2017/03/kimura011-300x219.jpg 300w, https://canvas.ws/wp/wp-content/uploads/2017/03/kimura011-310x226.jpg 310w, https://canvas.ws/wp/wp-content/uploads/2017/03/kimura011-480x350.jpg 480w" sizes="(max-width: 800px) 100vw, 800px" /></p>
</div>
<p class="icon2">『あらしのよるにー恋愛論』という恋愛向けの本も書いています。講談社の人が来て、『あらしのよるに』には出会いからはじまり、秘密の友だち、駆け落ち、自己犠牲、と恋愛のすべてが入っていると言われたんです。なるほどと思って本を書きました。本人はまったく考えていなかったので、すべては結果論ですね。</p>
<p class="icon1 fixH">そういうの結果論って言うんですかね（笑）。</p>
<p class="icon2">たとえば『かいじゅうでんとう』（あかね書房）という絵本を書いたら、「この怪獣は主人公の気持ちが形になったものなんですね」というファンレターがきて、そうだったんだと思って続編を書いたことがあります。書いてるときにはわからない場合があるんです。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p class="rep">セオリーは破るためにある</p>
<p>&nbsp;</p>
<p class="icon1">先ほど例に挙がった『水戸黄門』など、作品には盛り上がる場面があるケースが多いと思います。しかし、『あらしのよるに』は淡々と会話だけで終わります。それはご自身の中でなにか意図したものがあるんですか？</p>
<p class="icon2">そうですね。子どものころの話をしたり会話だけですね。そういう意味では、セオリーは破るためにあるんです。</p>
<p class="icon1 fixH">あんなにセオリーと言っておきながら、セオリーを破った？</p>
<p class="icon2">そうそう。でも最終的に全シリーズになったら、セオリー通りになっていた。盛り上がりがないという点でいえば、『あらしのよるに』は全部が「起」だったのかもしれないですね。よく賞もらったよね、起だけで。</p>
<p class="icon1">天性のものですね。破ってみたいセオリーやこれからこんなものにチャレンジしたいというようなことはありますか？</p>
<p class="icon2">たくさんの絵描きさんは、そういう意味では自分の世界を破ってつくっていくわけです。今回の展覧会にもそういう意図があります。だから、まだ上手に描こうとしている自分がいるのを破らなくちゃならない。上手に描いちゃダメ。たまたま筆がそっちに行っちゃったよっていう絵を描きたいんです。ここに展示している作品でも比較的近いものもあるけど、上手に描こうとしているものもあるし、どれが本当にいいかわからないので、試行錯誤しながらアンケートでどれがよかったのかを聞いてみようと思って。 でも来場者に聞いたら、結構ばらばらで自分でもわからなくなっちゃって。</p>
<p class="icon1 fixH">そうやって、マーケティング調査しているんですね。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p class="rep">子どもは表現が違っても感覚は大人と一緒</p>
<p>&nbsp;</p>
<p class="icon2">最後に僕から石戸さんに質問です。ずっと子どものイベントをしていて、子どもについて思うことってどんなことですか？</p>
<p class="icon1">なにかしてあげているという感じではなくて一緒に楽しんでやってきた感じです。子どもたちに刺激をもらっていますし、私たちが楽しんでないものは、子どもも楽しめないかなと思います。</p>
<p class="icon2">そうですよね。10歳や6歳の子どもだから、きっとこれのほうがおもしろいんじゃないかってつくると、嘘になる。</p>
<p class="icon1 fixH">それ、子ども好きじゃないですよね（笑）。</p>
<p class="icon2">ね。それは子どもだましです。こっちがおもしろいと思った話を、子どもにもわかるような言葉と字で書いています。年齢が半分でも体重が半分でも身長が半分でも、人間が半分じゃないんです。</p>
<p class="icon1">そうですね。表現の仕方は違えど、感じてることは一緒だったりむしろ鋭かったりする。</p>
<p class="icon2">僕は、子ども向けの教室を23年間やっている。子どももプライドがあったり、傷ついたり、そういうのを目の当たりにすると、子どもは大人と同じものを全部持っているんだと思いました。</p>
<p class="icon1">そうですよね。子ども同士の関係をみていると、それを感じます。大きな子が小さな子に接する接し方は風格があったり、大人の社会とまったく同じ人間関係が子どもたちの間にあって、その中でいろいろな感性を育んでいるんですね。</p>
<p class="icon2 fixH">おや、そろそろ時間なんですね。最後に質問はもうなくていいですか？</p>
<p class="icon3">今のお話に関して、やはり大人になると子どもとはどうしても感性のずれが出てくると思います。どうでしょう？</p>
<p class="icon2">子どもから大人になっていくので、子どもの部分は自分の中にある。一番プリミティブな部分があって、その上にいろいろとバウムクーヘンみたいについていくわけです。自分の内側をみればちゃんと子どももいるので、そこに目を向けていればいくらでも子どもの感性は戻せると思うんです。</p>
<div class="post-img">
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-13579 size-full" src="http://canvas.ws/wp/wp-content/uploads/2017/03/kimura021.jpg" alt="" width="800" height="584" srcset="https://canvas.ws/wp/wp-content/uploads/2017/03/kimura021.jpg 800w, https://canvas.ws/wp/wp-content/uploads/2017/03/kimura021-300x219.jpg 300w, https://canvas.ws/wp/wp-content/uploads/2017/03/kimura021-310x226.jpg 310w, https://canvas.ws/wp/wp-content/uploads/2017/03/kimura021-480x350.jpg 480w" sizes="(max-width: 800px) 100vw, 800px" /></p>
</div>
<p class="icon1">よく話していることなのですが、子どもたちが紙とクレヨンで描くときの反応が、10歳ぐらいから変わってくる。個人差があるので一概には言えないですけど、10歳ぐらいから絵を描かない子が現れる。なぜかというと、その頃からから突然自分を客観視するようになるんです。そうすると周りの子にあなたは絵が上手だねと言われた子はずっと絵を描くし、そうじゃない子は描かなくなる。大人の常識や客観的な評価が入ってきた瞬間に、本当の心の中にあるものをそのまま素直には出せなくなる。でもお話をうかがっていると、きむら先生みたいに、第三者の目をクリエイティブに使っていくという方法もあるんだなと思いました。子どものほうがクリエイティブだという話はあると思うんですが、必ずしもそうではないのではないか、と思うこともある。自分の中にある子ども心を失わなければ、私は大人のほうが見聞きしたり体験してきたインプットが多い分、アウトプットの幅も広がると思います。そうありたいなと思いますね。</p>
<p class="icon2">大人になるにつれて、だんだん評価される対象になって、一生ずっと評価されていくわけですがある意味で大人って、その評価される対象に勝たないといけない。自分のやりたいことと、評価される対象であることのせめぎ合いで生きているわけです。自分がやりたいことはなるべく守って、大事にしていきたいです。たとえ趣味でもいいから続けることが大事だなと思います。</p>
<p class="icon1">先生はA、B、Cとランクを付けて仕事の優先順位を決めていたと話していましたが、やりたいことが職業につながったら幸せですが、例えそうならなかったとしてもまた別の方法があるということですかね。<br />
では、長丁場になりましたがお時間がきてしまいましたので、これにて本日のトークイベントを終わりにします。</p>
<p class="icon2">ありがとうございました。</p>
]]></content:encoded>
					
		
		
			</item>
		<item>
		<title>第2話：絵本ができるまで</title>
		<link>https://canvas.ws/magazine/talkarchive02_02</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[wpadmin]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 09 Mar 2017 03:24:30 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[きむらゆういち試行錯誤作品展]]></category>
		<category><![CDATA[きむらゆういち]]></category>
		<category><![CDATA[えほん]]></category>
		<category><![CDATA[amu]]></category>
		<guid isPermaLink="false">http://canvas.ws/?post_type=magazine&#038;p=13573</guid>

					<description><![CDATA[&#160; ストックしたアイデアがあればどこでもつくれる &#160; 先生は、作品をつくるにあたってどんな時間帯に考えたり、ひらめいたりしているのですか？ 僕はほとんど机に向かってアイデアを考えていることがないので、 [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>&nbsp;</p>
<p class="rep">ストックしたアイデアがあればどこでもつくれる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p class="icon3">先生は、作品をつくるにあたってどんな時間帯に考えたり、ひらめいたりしているのですか？</p>
<p class="icon2">僕はほとんど机に向かってアイデアを考えていることがないので、いつ仕事をしているのかみんなわからないようです。昔の作家が、奥さんに夜の町に働きに行ってもらって、食わしてもらいながら書斎にこもっていたという話がありますが、僕はない。アイデアが浮かんだときにメモにちょっと書く。たとえば『あらしのよるに』は読者だけが真実を知っていて、登場人物は知らないという話をつくりたいなと思ったんです。寝室のドアを開けてベッドに行くまでの間に、「天敵同士が、知らずに友だちになっちゃうようにしよう」とアイデアが浮かんできた。で、ベッドに座ってから、「食べる方はオオカミで、相手をどうしよう」と。暗闇で出会ったとしても、シルエットがみえたり、どこか触ったりしてばれたら終わってしまう。ウサギじゃ小さいし、ブタじゃ丸いし、ヒツジじゃ毛深いから、ヤギが一番誤解が続くかな、と思いました。それで封筒に「ヤギとオオカミの話」と書いた。で、別のときに「食べるものと食べられるものが、食べものの話で盛り上がるっておもしろくない？」と思ったので、メモを書いて、その封筒に入れる。</p>
<p class="icon1 fixH">メモを一つの封筒に入れていくのですね！</p>
<div class="post-img">
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-13575 size-full" src="http://canvas.ws/wp/wp-content/uploads/2017/03/kimura02.jpg" alt="" width="800" height="584" srcset="https://canvas.ws/wp/wp-content/uploads/2017/03/kimura02.jpg 800w, https://canvas.ws/wp/wp-content/uploads/2017/03/kimura02-300x219.jpg 300w, https://canvas.ws/wp/wp-content/uploads/2017/03/kimura02-310x226.jpg 310w, https://canvas.ws/wp/wp-content/uploads/2017/03/kimura02-480x350.jpg 480w" sizes="(max-width: 800px) 100vw, 800px" /></p>
</div>
<p class="icon2">封筒がいっぱいになったら持ってファミレスに行く。『あらしのよるに』はデニーズで一晩でできたんですよ。『ふぶきのあした』（あらしのよるにシリーズの第6巻）は湘南のロイヤルホストです。</p>
<p class="icon1 fixH">書斎はないのですか？</p>
<p class="icon2">事務所にも湘南のアトリエにも机と椅子はあります。でも封筒の中のメモがあれば、ほぼできあがっているんです。メモにないところは、書いているとできてくる。終わったメモにバツをつけながら、一晩でどんどん書いていく</p>
<p class="icon1">書こうと思って執筆するより、メモがたまったときにストーリーにしていくのですね。</p>
<p class="icon2">そうです。そこには「うそつきたぬき」とか別の封筒もいろいろあるけど、締め切りに追われているから、浮かんでもそれは置いておくわけです。で、それはなにかの締め切りのときに使う。</p>
<p class="icon1">常に考えているということですよね。「日常のオリジナリティ」ではなく、「日常をオリジナルなもの」にしようとしている気がします。</p>
<p class="icon2">僕の子どもが熱を出して病院に連れて行くときに、そのときのカミさんも作家だったんで、話していて、あっ！　て2人でひらめいた。車の中で寝ていた子どもがムクっと起きて「こんなときぐらい、止めてよね」って。どこでアイデアが浮かぶかわからないんです。それから、書くのは大体夜です。『あらしのよるに』も、デニーズで一晩で書きました。</p>
<p class="icon1 fixH">どれくらいの数の封筒を同時並行で進めているのですか？</p>
<p class="icon2 fixH">何年もずっと5～6本です</p>
<p class="icon1 fixH">封筒をつくり、メモがたまり、書く段階になるまでどのくらいの時間がいるのですか？</p>
<p class="icon2 fixH">そうね、決まっていないんですよ。</p>
<p class="icon1 fixH">1年くらいかかることも？</p>
<p class="icon2">『あらしのよるに』はもっとかかっているかもしれない。たまたまできたから……というのを、つねにつくっている。</p>
<p class="icon1">封筒がたまって文章を書き始めたら、一晩で書き終えてしまう、みたいな感じですか？</p>
<p class="icon2 fixH">そうですね。</p>
<p class="icon1">今回は展覧会が決まってから、すごく短かったと思います。どのくらいのペースで87点を描かれたのでしょうか？　1枚あたり、どのくらいの時間がかかっているのですか？</p>
<p class="icon2">3～4ヵ月だと思います。僕はいろんなことをやっていて、打ち合わせだったり、ラスベガスやイタリアに行ったり、地方講演へ行ったり、絵本講座をしたり、毎日追われているんです。</p>
<p class="icon1 fixH">1日に 2 、3枚描くことも？</p>
<p class="icon2">家に戻ってから描いています。今日の展示物なんかは一瞬です。墨汁で、ホワイト修正液でシュッシュッって。</p>
<p class="icon1">「なんで段ボールに描いたんですか」と聞いたら、「紙がもったいないから」とおっしゃっていてびっくりしました。</p>
<p class="icon2">紙に描いて線を引いて、だと緊張しちゃう。いいものを描こうと思ってしまうんです。段ボールだとダメでもいいやと思えるのでいい線が描ける。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p class="rep">アイデアは、ところ構わず生まれてくる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p class="icon1 fixH">ほかに質問がある方はいらっしゃいますか？</p>
<p class="icon3">日常のお話がたくさん出ていますが、先生が日常生活で大切にしている、好きなことや時間があれば教えてください。</p>
<p class="icon2">ベッドのヘッドボードにもたれて、ぼーっとしているときです。あとテレビでニュースとスポーツのダイジェストをみているとき。</p>
<p class="icon1 fixH">どういうところからインスピレーションを得ているんですか？</p>
<p class="icon2">アイデアはところ構わずなので、海外のエスカレーターに乗っているときだったり、一番困るのがお風呂で、頭を洗っていたら、書き出しが出てきたんですよ。しょうがないからタオルを巻いて、その場で出て書いたの。で、体を洗っていたらその続きがどんどん出てくる。5回ぐらいやって、完全に洗って出るまでに1冊できちゃった。それが『やっとライオン』（小学館）という話です。それでお風呂には水にぬれても書けるノートと鉛筆を置いてあります。</p>
<p class="icon1 fixH">お風呂でアイデアが出る確率が高いのですか？</p>
<p class="icon2">トイレもあります。あと高速道路を運転中にハンドルを握りながら、紙を置いて、前をみながらちょっと書いたこともあります。すごくいいアイデアが浮かんだということだけ覚えていて、忘れてしまうとすごく悔しいんです。あとは、大事にしてることはなんでしょうね。</p>
<p class="icon1">今回のオープニングパーティーにはきむら先生のご家族も来てくださっていて、先生は家族をすごく大切にされてるんだなと感じました。お姉様が『あらしのよるに』の映画のプロデューサーをされているんですよね。</p>
<p class="icon2 fixH">興味が一緒なんです。</p>
<p class="icon1">きむら先生がご家族を大切にしていることが、温かい作品へとつながっているのだと思いました。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p class="rep">絵本と電子書籍の関係</p>
<p>&nbsp;</p>
<p class="icon1 fixH">ほかに質問がある方はいらっしゃいますか？</p>
<p class="icon3">きむら先生と石戸さんのお2人に聞きたいのですが、絵本と電子書籍の親和性についてどう思っていますか？　私にも子どもがいて、絵本の紙めくるような感覚はすごく教えたいんです。でもスマホやタブレットをみると取りつかれたように触る。作家と、事業としてやられてる立場としての考えを聞かせてください。</p>
<p class="icon2">デジタル媒体は本ではない、本は紙でなければならないとデジタル媒体に反対している人もいますね。それに対して、せっかくだからデジタルで新しいものをつくろうという方もいっぱいいる。僕のところにも一緒に企画を考えてほしいという人が来て、うちはこんなにデジタル媒体の企画があるけれどなかなか実現しなくて、どうやって商売として成り立たせたらいいのかと悩んでいた。<br />
かつては子どもにテレビをどれぐらいみせるか、みせすぎるのは害ではないかという時代もあったんです。テレビを第3の親にしてしまったらよくないという「子どものテレビの会」というのがあって幼稚園や小学校の先生の前で講演をした。子どもにどれだけテレビをみせるかという話をしようと思ったら、テレビを散々みてきている人がそこにいたんです。すでに先生になっているんです。みんなテレビをみて育っているわけです。時代の流れには抵抗できないので、否定するのではなくデジタルえほんをいかにして上手に活用するかが大切だと思います。それを考えないとダメだよなと常に思っているんです。新しいものは拒否するのではなく、どうやって受け入れるのかだと僕は思っています。</p>
<div class="post-img">
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-13574 size-full" src="http://canvas.ws/wp/wp-content/uploads/2017/03/kimura01.jpg" alt="" width="800" height="584" srcset="https://canvas.ws/wp/wp-content/uploads/2017/03/kimura01.jpg 800w, https://canvas.ws/wp/wp-content/uploads/2017/03/kimura01-300x219.jpg 300w, https://canvas.ws/wp/wp-content/uploads/2017/03/kimura01-310x226.jpg 310w, https://canvas.ws/wp/wp-content/uploads/2017/03/kimura01-480x350.jpg 480w" sizes="(max-width: 800px) 100vw, 800px" /></p>
</div>
<p class="icon1">ありがとうございます。私たちも「デジタルえほん」の開発や普及を行っていますので賛否両論の声が届きます。私たちは紙の絵本の延長として「デジタルえほん」を定義しているわけではありません。全然違う表現領域、メディアだと捉えています。今の子どもたちは、もうデジタルデバイスがない時代を生きることができません。それがときにマイナスの側面があることは否めませんが、だからこそ大事なことは使い方だと思います。人間は自分たちの力を拡張するツールとして新たにテクノロジーを生み出してきたわけです。その可能性をいかに広げていくかということに挑戦していきたいと思います。子ども向けの新しい表現手段としてのデジタルえほんをつくっています。<br />
絵本とデジタル媒体の親和性でいうと、しかけ絵本のようにインタラクティブな表現ができるということがあります。絵本の役割としてイメージする力と「想像力」を育むということにあると思いますが、さらに一歩進めて、自分自身で創る「創造力」を育むということにも役立てたい。私は子どもたちが、デジタルえほんを通じて最終的にはすべての子どもたちが、絵本作家になれるような体験をしてもらえるといいなと思っています。「デジタルえほんアワード」の審査を角川歴彦さんにお願いしたとき、「書籍の中で最もデジタルに親和性があるのは絵本だよね」とおっしゃっていました。そういうご意見もあるのかなと思います。</p>
<p class="icon2">本だと「ページをめくる」からこのしかけが出てくるわけですが、デジタルえほんならではのしかけもできるわけですよね。</p>
<p class="icon1">私たちがつくっているデジタルえほんの中には、ページという概念のないコンテンツがあります。絵巻物のようなデジタルえほんですね。最近ですともっと物理的なものと連動して、絵本を楽しめるような作品も生まれています。そうなると玩具との境もなくなりますよね。既存の領域に囚われることなく、子どもたちが楽しみながら新しいことへ興味関心を抱けるようなようなメディアにまで成長させていくことに、寄与できるといいなと思います。</p>
<p class="icon2">最近はおもしろいデジタルえほんが出てきていますね。今までは売れた絵本をどうやってデジタルでも売ろうかというところから抜け出ない企画が多かった。紙でも変わらないんじゃないかという企画も審査の中にあるんです。そこを壊した作品も随分出てきています。</p>
<p class="icon1">デジタルえほんは、まだ未成熟な表現領域だと思います。デジタルえほんアワードの審査結果は時代を表しているかなと思います。1年目は、売れた紙の絵本をデジタルにしたものがグランプリを取りました。2年目は小学生がつくったえほん、3年目は海外から作品が集まり、4年目は段ボールとスマホを組み合わせておままごとができる玩具のようなえほんが賞を取りました。今ちょうど成長期なので、ぜひ皆さんもいいアイデアを応募いただきたいなと思います。</p>
]]></content:encoded>
					
		
		
			</item>
		<item>
		<title>第１話：少しのことばと絵で伝えられること</title>
		<link>https://canvas.ws/magazine/talkarchive02_01</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[wpadmin]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 01 Mar 2017 05:56:23 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[きむらゆういち試行錯誤作品展]]></category>
		<category><![CDATA[きむらゆういち]]></category>
		<category><![CDATA[えほん]]></category>
		<category><![CDATA[amu]]></category>
		<guid isPermaLink="false">http://canvas.ws/?post_type=magazine&#038;p=13479</guid>

					<description><![CDATA[&#160; 絵本ならだれでもつくれる &#160; 「少しのことばと絵で伝えられること」トークイベントをはじめたいと思います。私は、子ども向けのワークショップを展開するNPO法人CANVASの代表をしております、石戸で [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>&nbsp;</p>
<p class="rep">絵本ならだれでもつくれる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p class="icon1">「少しのことばと絵で伝えられること」トークイベントをはじめたいと思います。私は、子ども向けのワークショップを展開するNPO法人CANVASの代表をしております、石戸です。今日はきむらゆういち先生の聞き手としてこの場所に座らせて頂きます。<br />
きむら先生、よろしくお願いします。</p>
<p class="icon2 fixH">よろしくお願いします。</p>
<p class="icon1">きむら先生との出会いは、私たちが開催する「デジタルえほんアワード」の審査員をお願いしたところからです。その審査開場がここamuで、きむら先生のご自宅からも近いですし、ここいいな、といって amu としてははじめて展覧会を開催することになりました。</p>
<p class="icon2 fixH">展示にピッタリでした。</p>
<p class="icon1">ありがとうございます（笑）。おかげさまで、今はいろいろなところから声をかけてもらっています。はじめ、この作品展のために先生が40作品書き下ろしてくださるとおっしゃっていたのですが、なんと、87作品も描いてしまったんですよね</p>
<div class="post-img">
<div id="attachment_13481" style="width: 810px" class="wp-caption aligncenter"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-13481" class="wp-image-13481 size-full" src="http://canvas.ws/wp/wp-content/uploads/2017/02/amu2.jpg" alt="" width="800" height="584" srcset="https://canvas.ws/wp/wp-content/uploads/2017/02/amu2.jpg 800w, https://canvas.ws/wp/wp-content/uploads/2017/02/amu2-300x219.jpg 300w, https://canvas.ws/wp/wp-content/uploads/2017/02/amu2-310x226.jpg 310w, https://canvas.ws/wp/wp-content/uploads/2017/02/amu2-480x350.jpg 480w" sizes="(max-width: 800px) 100vw, 800px" /><p id="caption-attachment-13481" class="wp-caption-text">きむらゆういち「試行錯誤」作品展の様子</p></div>
</div>
<p class="icon2">そうなんです。オープニングパーティーをやったら、200人以上来てこりゃいっぱい描かないといけないと思いました。書から陶芸まであります。</p>
<p class="icon1">書と陶芸は今回が初チャレンジですよね。オープニングパーティーでは、『かいけつゾロリ』の原ゆたか先生から「なんでこんな一銭にもならないことをきむら先生は一生懸命やってるんだ」という、ありがたいごあいさつも頂きました（笑）</p>
<p class="icon2">ただでさえ締め切りでめいっぱいなのに、締め切りのないことをどうやってこんなにできるの？　っていうね。</p>
<p class="icon1">私はきむら先生の絵本で育って、絵本作家と認識していたんですが先生はご自身のことを「ストーリー作家だ」とおっしゃっています。今日は「少しのことばと絵で伝えられること」ということで、「ストーリー」に焦点を当てて、ストーリーのつくり方、ストーリーを通じた絵本のつくり方についてお話ができると嬉しいなと思います。 先生は「絵本はだれでも描ける」とおっしゃっていますが、先生、本当にそうなんですか？</p>
<p class="icon2">絵本はだれでも描けるでしょう。だって、絵と文を書けばいい。売れるかどうかは別です（笑）。でもそれを別にすれば、だれでも描けますよね。</p>
<p class="icon1">先生は絵本を、身近なものだとおっしゃっていて、たしかに子どもができると、子どものために絵本を描いてみたいという気持ちが芽生えるお母さんの話は、よく聞きます。私はきむら先生の作品との最初の出会いは、工作の絵本だったんです。工作の絵本からデビューされて、なぜ絵本作家になったのか、その辺の話からうかがってもよろしいですか。</p>
<p class="icon2">はい。工作の絵本は、アイデアを1ページに1個出しますよね？　そうすると、全ページにそれぞれアイデアを出さないとダメです。何十個もアイデアを出して1冊なんです。でも絵本は1個のアイデアがあれば1冊です。</p>
<p class="icon1">たくさんのアイデアを出すのが面倒くさいから絵本にシフトしたということですか（笑）。もともと絵本作家になりたかったわけではないということでしょうか？</p>
<p class="icon2">ものをつくることがしたかった。だからものをいっぱいつくること、工作は今でもやっています。</p>
<p class="icon1">そうですよね。今回のイベントの受付に置いてある、アンケートを書いてくださいというロボットをつくったり、展示している絵画にもロープのしかけがあったりするんです。こういうのは工作をやられていたきむら先生ならではの作品だと思います。</p>
<div class="post-img">
<div id="attachment_13482" style="width: 810px" class="wp-caption aligncenter"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-13482" class="wp-image-13482 size-full" src="http://canvas.ws/wp/wp-content/uploads/2017/02/amu3.jpg" alt="" width="800" height="584" srcset="https://canvas.ws/wp/wp-content/uploads/2017/02/amu3.jpg 800w, https://canvas.ws/wp/wp-content/uploads/2017/02/amu3-300x219.jpg 300w, https://canvas.ws/wp/wp-content/uploads/2017/02/amu3-310x226.jpg 310w, https://canvas.ws/wp/wp-content/uploads/2017/02/amu3-480x350.jpg 480w" sizes="(max-width: 800px) 100vw, 800px" /><p id="caption-attachment-13482" class="wp-caption-text">ロープのしかけがある作品</p></div>
</div>
<p class="icon2">工作は、当たり前だと思っていたらなにも生まれないんです。たとえば、紙コップはなにかを飲むものですよね？こんなカタチをしているから、水は漏れないし。じゃあここに顔を書いたらどうだろう、とか。固定概念を壊すことでいろんなものが生まれるじゃないですか。</p>
<p class="icon1 fixH">たしかに、同じコップでも違う見方をしてみるということですね。</p>
<p class="icon2">あとは、たとえば鶴の折り紙を考えた人がいて、それを娘に教えるとします。次にその娘が、近所の子に教える。どんどん広がっていって、作者がいなくても伝わっていくものになっていく。工作は教えた人を飲み込んでしまうんです。 だけど、たとえば、ピカソの絵や絵本作家の田島征三さんの絵はその人の味と匂いで表現している世界です。憧れますよね。</p>
<p class="icon1 fixH">ああ、そういうことだったんですね。絵本に進んだきっかけは。</p>
<p class="icon2">うん。鶴の折り方を考えれば、もう自分がいなくてもいいわけだけど、その人でなければ絶対ダメという世界もいいじゃないですか</p>
<p class="icon1 fixH">自分の表現として、いつまでも残る。</p>
<p class="icon2 fixH">そうそう。工作との違いは、味と匂いがある。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p class="rep">チャレンジする理由</p>
<p>&nbsp;</p>
<p class="icon1">もともと好きで工作をしているうちに、絵本の世界に憧れを持ちはじめ、絵本作家になったということですか。</p>
<p class="icon2">そうじゃないんです。飯を食うために、とりあえず手っ取り早く最初に『小学何年生』の付録のアイデアをやったんです。それをやっているうちに、夏休み工作図鑑の考案をしました。じゃあそれで本ができるんじゃないといって工作の本をつくり、徐々にストーリーのあるものになりました。だんだんとしかけのある絵本になっていったんです。なんといいますか、横すべり作家というか。</p>
<p class="icon1 fixH">横すべり作家。はじめて聞きました（笑）。</p>
<div class="post-img">
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-13484 size-full" src="http://canvas.ws/wp/wp-content/uploads/2017/02/amu7.jpg" alt="" width="800" height="584" srcset="https://canvas.ws/wp/wp-content/uploads/2017/02/amu7.jpg 800w, https://canvas.ws/wp/wp-content/uploads/2017/02/amu7-300x219.jpg 300w, https://canvas.ws/wp/wp-content/uploads/2017/02/amu7-310x226.jpg 310w, https://canvas.ws/wp/wp-content/uploads/2017/02/amu7-480x350.jpg 480w" sizes="(max-width: 800px) 100vw, 800px" /></p>
</div>
<p class="icon2">横すべり作家のいいところは、つねにずっと収入があることです。だから僕は一度も売り込んだことも、賞に応募したこともない。ずっと仕事をしながらここまできたんですが、人間って最初についてしまった印象が大きいじゃないですか。工作をする人が、いきなり文学をやったという印象をもたれてしまいました。最初のイメージって強いですよね。芸能人で絵を描く人がいますが、芸能人の印象が強いと、その人の名前が邪魔になって、素直に絵をみれないことと同じだと思います。</p>
<p class="icon1">イメージを変えることがなかなかむずかしい。でも、今はもう工作をやられていた方だとご存知ない人たちも多いんじゃないですか？　知ってました？</p>
<p class="icon3 fixH">（会場挙手）</p>
<p class="icon1">やはりそんなに多くはないですね。絵本作家としてのイメージがついているんですね。</p>
<p class="icon2">あとね、『あかちゃんのあそびえほん』と『あらしのよるに』が同じ作者だと知らない人が多いです。</p>
<p class="icon1 fixH">雰囲気が全然違いますからね。</p>
<p class="icon2 fixH">はい。ですね。でも本当はなんでもやりたいんです。</p>
<p class="icon1">今回なんでもやりたいというのが表れていますよね。書や陶芸の展示はきむら先生のファンからすると「えっ」と思うかもしれないですが、まさにこの展覧会から「次のチャレンジ」をしたいと先生はおっしゃっていて、「次のチャレンジ」がここら辺に表れてるのかな、と思いました。 私がとにかくびっくりするのが、絵本の数もすごく多いですよね。500作くらいですか？</p>
<p class="icon2">『はんぎょどん』の絵本から小説からコミックの原作から保育園の壁面構成のつくり方、人形劇までなんでもやります（笑）。それで、全部で650作くらいです。</p>
<p class="icon1">それがすごいなと思います。その発想の源、どういうところからストーリーのアイデアは生み出されるんですか。</p>
<p class="icon2 fixH">断るのが下手なんですよ。だから頼まれるとやっちゃうんです。</p>
<p class="icon1 fixH">今回は頼まれなくてもやりましたけど（笑）。</p>
<p class="icon2">そう（笑）。頼まれることだけやってると前進しないじゃない？　つまり、今までの僕のイメージで頼むので、その枠からははみ出ない。だからこういうことをやらないと、次に進むことができない。</p>
<p class="icon1">普段、頼まれ仕事で忙しくなってしまうからこそ、自分からのチャレンジとしての展覧会をひらいたということですね。</p>
<p class="icon2">こんな絵を描くぞ、というのをやらないと枠を破れないかなと思いました。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p class="rep">オリジナリティは日常にある</p>
<p>&nbsp;</p>
<p class="icon1">私は先生がこれだけ多作な理由のひとつは、先生がおっしゃられている「日常生活の中にオリジナリティがある」ということなのかなと思います。日常生活というと一般的にはそこに特殊なものはないというイメージですが、もしかしたらそれが多作になる秘訣なんじゃないかなと思います。日常生活にオリジナリティがあるとはどういうことでしょうか？</p>
<p class="icon2">日本で年間、子どもの本は約3,000冊でているんです。毎日書店の児童書の棚に10冊来るわけです。そうすると、10冊返されちゃうんです。児童書って30年前の本もあるんです。新しい本の枠って2割くらいしかないです。それに日本だけじゃなく外国の本も並んでいる。ものすごい数のストーリーがあるわけですよね。だからこれからの作家さんは、そのどれとも似ていない、オリジナルを出さないと存在できないんです。</p>
<p class="icon1">そうですね。「過去のあれと似てる！」とか言われちゃいますからね。</p>
<p class="icon2">そう。「あれとそっくり！」と言われないために、そっくりじゃないものを毎回毎回つくり続けなきゃいけない。生活するために。どうやったら今までと違うものをつくって残れるかというと、今までの本をすべて読んで、違うものを考えるというのは無理ですよね。2015年もおよそ3,000冊出版されている。一昨年もそうです。30年前の本も売れている。その中で新しい本を全部読んで、海外の本も読んで、それらとは違う本を考えようとしたら嫌になっちゃうでしょ？（笑）</p>
<p class="icon1 fixH">そうですね。描く前に人生が終わっちゃいますね。</p>
<p class="icon2 fixH">僕、ほとんど絵本を読んでないんです（笑）。</p>
<p class="icon1 fixH">絵本を読んでいないというのが、衝撃でした（笑）。</p>
<div class="post-img">
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-13485 size-full" src="http://canvas.ws/wp/wp-content/uploads/2017/02/amu6.jpg" alt="" width="800" height="584" srcset="https://canvas.ws/wp/wp-content/uploads/2017/02/amu6.jpg 800w, https://canvas.ws/wp/wp-content/uploads/2017/02/amu6-300x219.jpg 300w, https://canvas.ws/wp/wp-content/uploads/2017/02/amu6-310x226.jpg 310w, https://canvas.ws/wp/wp-content/uploads/2017/02/amu6-480x350.jpg 480w" sizes="(max-width: 800px) 100vw, 800px" /></p>
</div>
<p class="icon2">『ぐりとぐら』も読んでないし、『不思議の国のアリス』はディズニーの映画でみました（笑）。よい読者と、よい作家は違うんです。 どれだけ作家がいて、どれだけ絵本をつくっても、自分だけが自分の日常を体験しています。たとえば、だれかと一緒に旅行をします。雨が降ってきたら、「あ、やばい。雨だ」と思う人もいれば、「ああ、雨だ。ラッキー！」と思う人もいる。同じ経験をしていても、思い方が違います。それまで生きてきて、いろんなもので思い方が違うんです。だから自分だけの日常にスポットライトを当てれば、何千冊何万冊の本と違うアイデアが生まれる。</p>
<p class="icon1">なるほど。日常こそが本人だけの体験であるオリジナリティがある場所だということですね。</p>
<p class="icon2">そうです。そこに宝物が埋まっている。あとはおもしろいものさえみつければいいわけです。</p>
<p class="icon1">その一方で、最近インターネットが広がって、みなさんブログなどで自分の日記を書きます。それも個人の体験ではあるのですが、必ずしも面白いわけではない。だから、日常をただ伝えるだけでは、オリジナリティはあるかもしれないけれど、みなさんに愛される作品にはならないですよね。</p>
<p class="icon2">そこがプロとアマの違いだと思います。でもみんなに迎合しようとしておもしろくつくられたものを読みたいかというと、あんまり読みたくないですよね。だからといって自分の一番やりたいようにつくった本というのも、昔よく「私の詩集」なんていう本を、自費出版でつくったから読んでと言われましたが……なかなかね。でも、わざわざ予約してまで買って読みたい本もあるわけです。その違いはなにかということですよね。</p>
<p class="icon1 fixH">それを知りたいんです！</p>
<p class="icon2 fixH">はい（笑）。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p class="rep">構成は第三者の視点で</p>
<p>&nbsp;</p>
<p class="icon2">まず本とは、自分の「作品」で自分の思いが入っています。これは主観です。でも裏をみると値段がついていて「商品」と呼ばれる。これは客観です。本は「作品」と「商品」が裏表なわけです。そこで編集者は、作家の思いを聞き、商品として成り立つようにしますが、作家もプロとなると読んだ人がおもしろくなるように、はじめから主観と客観を意識して書くわけです。</p>
<p class="icon1">主観で書いたら、一歩ひいて第三者の目でみるということを交互にやっている感じですか？</p>
<p class="icon2">読者ははじめてそのストーリーを読んでいるわけです。そうすると、こういう風に書きたいけれど読者の気持ちを考えたら、ここで「犯人だな」とわかるとつまらない。だから読者のことを考えて、犯人はすごくいい人に書いておけば後でどんでん返しが起こったときに……ということを計算できる。そうやって客観的にみながら書くのが、作家の客観だと思います</p>
<p class="icon1">自分の中に既に全部ストーリーがあるけれど、どういう順番にみせていけば第三者がおもしろくなるか考えるということですよね。</p>
<p class="icon2">そこが構成のプロの技っていうかね。で、構成1つでお話が全然変わっちゃいますから。おもしろくもできるし</p>
<p class="icon1">今の話は、構成、ストーリー転換の順番を、第三者的な視点を入れることによっておもしろくするというお話かなと思います。<br />
別の視点から、きむら先生の『ぼくだけのごちそう』をすごくおもしろいなと思いました。ストーリーはもちろん、最後の先生の「あとがき」が非常に勉強になったんです。まずどういうお話かというのをきむら先生に説明して頂いてもいいでしょうか？</p>
<p class="icon2">ごちそうを手に入れた主人公はみんなにとられたくないので、穴に埋めてしまいます。隠したけれど、待てよ、どこに埋めたかわからなくなってしまうという心配があって立て札をたてます。これでもう大丈夫だろうと安心する。でも立て札に「ごちそうこのした」と書いたら当然みんなにわかってしまうので、そうだ、「ごちそうこのした」の立て札をいっぱいつくればみんながわからないだろうと思って、いっぱいつくります。このくらいつくれば誰か来てもみつからないだろうと思ったら、どの「ごちそうこのした」が本物かわからなくなるんです。そこで全部掘らなきゃいけなくなって友達も来て手伝ってくれて、やっとみつかりました。そしたらみんなちょうどお腹が空いて、みんなでごちそうを食べて、おいしいものをみんなで食べるのは楽しいなといって終わるというお話でした。</p>
<p class="icon1">ストーリー自体はすごくシンプルですが、最後に先生の「あとがき」があって、 1 つのことに集中するとむしろみえなくなってしまうこともあるよね、下心でやったことが、結果として自分にとっていいことになる、評価が上がることがあるよねということを描きたかったんだと書かれていました。先ほどまでは作品を第三者的視点でみたときに、どうおもしろくするかという話だったんですが、この絵本はみんなが「あ〜！　それ、あるある！」と思うことを発見することですよね。みんなが持っている心の中の「あるある」を探し出してストーリーにするのが上手というきむら先生の側面も、「日常」の中にあるのかなと思いました。</p>
<div class="post-img">
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-13486 size-full" src="http://canvas.ws/wp/wp-content/uploads/2017/02/amu5.jpg" alt="" width="800" height="584" srcset="https://canvas.ws/wp/wp-content/uploads/2017/02/amu5.jpg 800w, https://canvas.ws/wp/wp-content/uploads/2017/02/amu5-300x219.jpg 300w, https://canvas.ws/wp/wp-content/uploads/2017/02/amu5-310x226.jpg 310w, https://canvas.ws/wp/wp-content/uploads/2017/02/amu5-480x350.jpg 480w" sizes="(max-width: 800px) 100vw, 800px" /></p>
</div>
<p class="icon2">『オオカミのごちそう』という田島征三さんとつくった本があります。田島さんは今までだれも考えないようなことを絵本にしようと思ってきた。僕に「だれの心の中にでもあるものを絵本にするということを教わったよ、僕の尊敬する絵本作家だ」と言ってくれました。嬉しかったです。 だれの心にもあるものが、日常生活。中学生のときに、化学の実験でプリズムというものを使いました。光を当てていろんな角度からみると、景色が違ってみえる。こんな風に日常生活に光をあてて、角度を変えてみると実はすごくおもしろいストーリーが隠れているんです。</p>
<p class="icon1">しかもそれがおもしろいだけではなくて、普遍的ななにかがあるというところに、先生の絵本が1,000万部売れちゃう秘訣があるのかなと思います。みんながこれを読んだときに、ホッとできたり、そうだよねと共感できる。</p>
<p class="icon2">たとえばお笑いの「なんでだろう～なんでだろう～」のネタや綾小路きみまろさんの「昔なんとか今なんとか」というネタも、日常生活をうまく扱って、プリズムを当てて、すこし違う角度でみてみようということですよね。人はそこに共感を覚えて笑うんです。だから日常生活には人の心を揺さぶるのがいっぱい入っているのかなと思います。 みなさん自分の日常は自分だけのものを持っている。実はみんな金鉱を持っていて、掘っていないだけです。そこにおもしろいネタがあるんじゃないかと思います。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p class="rep">本は読者とつくる生き物</p>
<p>&nbsp;</p>
<p class="icon1">それから、先生の絵本はすごくメッセージ性があるように思えますが、先生はメッセージ絵本が嫌いだとおっしゃっていましたよね。</p>
<p class="icon2">たとえば「地雷をなくそう」というメッセージ絵本を友達からもらうと、読まなくてもわかっちゃうじゃんと思って読む意欲がなくなってしまう。「森を守ろう」という本をつくらなくても、メッセージにすれば、本をつくる為に木を切らなくて済む。メッセージをいうためにわざわざ絵本をつくる必要はないと思います。</p>
<p class="icon1">先生は「少しのことばで伝えられること」という、直接的なメッセージではなく、少ない言葉で感じさせるということにチャレンジされているわけですよね。</p>
<p class="icon2">そうですね。絵本だけでなく本はある意味で生き物です。人と一緒で、会う度に違う。たとえば『あらしのよるに』を5歳のときに読んだら、ヤギとオオカミの話だとふつうは思います。でも大人になってみると、これは男女の話かなと思う。人によっては同性愛かなと思う。天敵同士だしもしかして国と国の違いかなと思う。いろんな取り方ができて、その度に得るものがあるのがいい絵本だと思います。1つのメッセージだけだったら終わりじゃないですか。<br />
それに絵本には半分しか描かれていないんです。半分は読み手がつくっている。つまり文字と文字の間を読み手が補完しているんです。だから本は古くならない。20年前の本は半分を20年前の人がつくっているけれど、20年後の人が半分をつくってもいる。つねに新しいものが半分入っているわけだからずっと続いているのかなと思います。</p>
<p class="icon1">なるほど。きむら先生は絵も文章も書くときがあれば、文章だけや絵だけのときもありますよね。それでいうと、絵で伝えようとしていることと文章で伝えようとしていることをどういう風に分けているんでしょうか？</p>
<div class="post-img">
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-13487 size-full" src="http://canvas.ws/wp/wp-content/uploads/2017/02/amu4.jpg" alt="" width="800" height="584" srcset="https://canvas.ws/wp/wp-content/uploads/2017/02/amu4.jpg 800w, https://canvas.ws/wp/wp-content/uploads/2017/02/amu4-300x219.jpg 300w, https://canvas.ws/wp/wp-content/uploads/2017/02/amu4-310x226.jpg 310w, https://canvas.ws/wp/wp-content/uploads/2017/02/amu4-480x350.jpg 480w" sizes="(max-width: 800px) 100vw, 800px" /></p>
</div>
<p class="icon2">僕は大学が絵画科だったので絵をずっと描きたいと思っていた。でもなかなか絵を描ける絵本作家になるのが難しくて、今回の展覧会が第一歩で、これからもやろうかなと思っています。<br />
僕はまずストーリーやしかけで売れてしまったんです。本当は田島征三さんやあべ弘士さんのような自由な絵を描きたかったんですが、ああいった絵でしかけ絵本はなかなかできない。しかけは、計算してつくるので、本当は思いのまま、筆がそっちにいっちゃったからこうなっちゃったくらいの絵が描きたかったんですが、それがむずかしい。で、どうやったらそういう絵本が出せるかなと思っていました。そのうち、忙しいし田島さんに頼めば早いや、あべさんに頼めば早いやって思うんですが……。</p>
<p class="icon1 fixH">自分が描かなくても（笑）。</p>
<p class="icon2">そう。頼むのも楽しいですよ。どんなものができてくるのか、想像以上のものもあれば、ちょっと違ったかなということもあります。あんまり大きい声じゃ言えないけども（笑）。そういうコラボの楽しさでずっとやってきました。でもこれからは、自分でも描きたいなというのもあって今回の展覧会をひらきました。</p>
]]></content:encoded>
					
		
		
			</item>
	</channel>
</rss>
