園舎を建てるにあたり、園児を中心に考えてきたと思いますが、保育士さんの立場を考えて工夫をしたことはありますか?
保育士さんの立場からというのは、なかなか難しいです。子どものほうの優先順を上げるので。ただ、今のご意見は、園舎設計の議論で必ず出る話なんです。オーナーと打合せしていると、保育士の目線がだんだん入ってきます。例えば“いやそんなにガラスが多いと保育士の掃除が大変ですから”とか“穴ぐらみたいな所があると、保育士の目が届かなくなって、なにかあったら大変ですから”というふうになっていきます。バランスの問題なのかもしれませんが、極端なことをいうと、ガラスが多いと掃除が大変だから、ガラスをなくしていってしまうと、暗くなっていきます。死角を無くしていくと、だんだんただのオープンスペースになって、逆行していってしまう。設計段階では、いつも「大人は我慢できるので、少し我慢してください」といいます。「覚悟してください」と提案しています。子どもには決定権はないのだから、大人が我慢すれば、子どもたちが楽しく、いろいろなことを学ぶ空間が出来るはずだから、大人が我慢しなさいと。
そこは議論として難しそうですね。入り口のところに大きな黒板がある園をデザインされていましたよね。子どもたちがそこに絵を描くことができるわけですが、保護者の方たちもまた、その黒板を見て一日の様子が分かるようになっている。地域の方がお茶をしてくるという事例も先ほどありましたが、保護者や地域の大人とのコミュニケーションのための、大人もコミットできる空間というのを意識されているのかなとお話を伺っていて思いましたがいかがでしょうか?
石戸さんがおっしゃっていたように、大人にとっても気持ち良いとか空間は確かに意識しているかもしれませんね。
園舎をデザインするにあたり、子ども目線で設計されると思いますが、今日みせていただいた園舎は、大人が見てもドキドキ・ワクワクしてしまいました。既存の保育園は、日比野さんが作られたものに比べてあまりドキドキ・ワクワクしないなとも感じました。同じ子ども目線でも、ドキドキ・ワクワクに差があるのはなぜでしょうか?
それはすごい難しいと思うのですが、好き嫌いと一緒で、僕はドキドキするけど、他の人はしないかもしれない。この間同じような質問がスロベキアでもありました。「子どもが楽しいだろうと言うことを設計している」と言ったら、「なんであんたがそんなことが分かるんだ」というんです。子どもじゃないじゃない、40歳過ぎているでしょ、と。僕は、今でも高いところからの方が眺めが良さそうだな、と思うし、もしかしたら、皆さんがいないなら、高いところから飛び降りているかもしれない、という感覚を持っているんですね。段差をトントン飛んでみたいな、出来るかなという思いを今も持っています。その境界線をデザインで表現しているだけなんですね。ただ、楽しいか楽しくないかは、大人がどのぐらい覚悟するかしないかという問題な気がします。提案は議論を経る中で、最後には“やっぱり危ないな、止めておこう”といったふうに、だんだん大人しくなってしまうんです。それが極端になっていくと普通になってしまう。そこのせめぎ合いのような気がします。
子ども心を失わないことが非常に大事ということですね。
園舎に屋根のモチーフに紐がいっぱいあって、子どもが遊べる文脈をつくられているなと感じました。子どもが遊ぶきっかけや仕掛けを作りこんでいる理由は?そしてそれらの共通項目はなんでしょうか?
僕が子どもだからという理由に尽きると思います。自分が小さいころの体験がいまでも強く残っているんです。僕は、生まれは鎌倉で、育ちは藤沢市です。当時の藤沢は田舎で、それこそ僕の家の前はススキ野原で、木苺が生っていて、近くではカブト虫やクワガタがいっぱい捕れたんですね。田んぼの横の用水路にいけば、蛇もいたし、蛙もザリガニもいたんです。そんなところで育ったので、ススキ野原に入って行くと、葉っぱで切れて血がでたり、道をつくっていってミステリーサークルみたいなもんを作って、穴を掘ってみたり。そういうスケール感がなんとなく今の自分のデザインに寄与しているんだと思います。
共通して楽しめることをあえて言葉でいうと、穴ぐらの例のように“もぐる”と、段差の例のように“跳ぶ”とか、あえて遠回りをするとか、そう言う要素が日比野さんの空間には多いですよね。そして、子どもたちは大好きですよね。
中国で連携している事務所の若い担当者がプレゼンテーションをしてきたんですね。一所懸命やっているのだが、遊園地のような子ども園だったので、全部ダメ出ししています。何でダメかというと、遊園地というのは、お金を払ってジェットコースターに乗って座れば自動的に回ってくれて楽しませてくれる。そして、ハイ終わりとなります。すなわち、子どもは何かをするわけではなく、自動的に答えを出してくれます。その感覚に近くて子どもにこのように遊びなさいと結論を出してしまっている提案だったんです。何回もダメ出ししている理由は、結論は出さないでくれということです。キッカケを与えることは、ものすごく大事だけど、結論は絶対にださないでくれ、と。結論は子どもたちが出すべきです。最終的には、中国の人たちはギブアップして、できないので、あんたやってくれという笑い話のようなことになっちゃたんです。
子どもたちは、レール敷かなくても、動機付けがあれば、あとは、自ら遊びと学びを作りだしていきます。私たちのワークショップもそのように設計していますが、そういうことを、日常を通してなさっているのが素晴らしいですね。日比野さんの動画、初めに建築の映像があって、途中から、命が吹き込まれたように、音楽が切りかわって、子どもたちの笑顔があるのがいいですね。毎度毎度うるうるしながら見てしまいます。また、40年前に手掛けた園舎を、40年後にもう一度依頼が来るということは、40年間大事に使って、つくってくださった方に感謝をして使い続けたんだろうな、と。それだけ愛される園舎を作る仕事をなさることに感銘を受けました。もっとお話をお伺いしたいのですが、残念ながらお時間となりましたので、本日はありがとうございました。