ワークショップの「はじまり」のつくり方って?
ー 反射でつくる
これはトリックアート系だよね。反射して見えるものを発見する楽しさ。もの自体はたいしたことないんだけど、気づいたとき「おお!」ってなる。ワークショップとしては、まずこの板の上に半分のわっかをのっけてみるんだよね。その状態で何回か作って、そのあとに箱を渡す。
はじめから箱は渡さないんですよね。
うん。箱を渡してから、その中にリングを入れてみる。そうするとどんどんつくりたくなる。これちょっと付けるだけで鏡に反射しておもしろいんだよね。上のわっかだけつくると、下が反射してリングに見える。
「今日はこれをつくるよ!」って、完成しているお手本を見せて、そこからブレイクダウンして進めるという工作の手順の説明のようになっていくワークショップもあると思いますが、これは違うスタイルですよね。
はじめ板だけ渡して反射や光のおもしろさに気づいて箱を渡してあげることで、3D的なおもしろさにもっとのめりこんでもっとつくりたくなる。他のワークショップでもそうですが、少しずつ発見や発想を重ねていくようなプロセスを意識されていますよね。
うん、はじめから「これをつくるよ」って言わないね。はじめから言うとたいしたことなくなっちゃう。まず板の上から、っていう地味なところから始める。
ワークショップの導入をどうつくるか、ってワークショッププレイヤー共通の悩みポイントであるとよく耳にします。これは、こういう完成形を目指そうと提示するのではなく、光と影や、反射のおもしろさ自体を素材と捉えて、いかにそのおもしろさに気づくプロセスを提供できるかが大事ということですね。
「つくれない子」がいたら、どうする?
スポンジでつくる
スポンジを小さくちぎってちぎって、
ネットにつめこむ。
これもすごいストイックなワークショップですけど、例えばこの作品だと、写真だけだとわからないけど、実は「水好きぼうず」ってな名前をつけて、水が大好きでどんどん吸い込む架空のキャラクターをつくって、世界をあらわしていますね。
うん。このワークショップのはじめは、「おうちとか、普段はスポンジちぎっちゃだめだけどね。今日はとくべつにちぎってもいいよ」とはじめて、そして単にちぎって楽しい!じゃなくてスポンジって洗うだけのもの?何かを磨くものかな?ってちょっと考えてもらう。ちぎってつめこんでるうちに、そのほかにも「なにかになりそう!」というきもちになってくるのでその使い方を考えてもらう。
できたものがやわらかくてきもちいいから、ずっとほっぺすりすりしてる子もいますね。
そうだね。この写真は全部「できた子」ですけど、どっちかっていうといつもぼくは「できない子」のことを意識してる。どうしたらいいんだろう?って悩む時間をできるだけ減らしてあげたほうがいい。
大人から見ると「悩んでる」「ぼーっとしてる」「何もしてない」時間に見えるけど、何かを発見したりする時間だったり、ちゃんと考える時間であったりもするから、その見極めというか、どのようにその様子を見取るかはすごい大事ですよね。
うん。悩むことで気づくこともあるから、そういう意味では待つことも大事。そう言う意味ではこれ難しいワークショップ。僕はいい参考例(良くできるこども)をつくるよりも、失敗した子がいるんじゃないかな?って方が気になっちゃう。
「邪魔にならず、記憶にのこさず、空気をつくる」
ワークショップ中、こどもたちのどこを見てますか?
うーん、どちらかというと、空気を見てるかなあ。「この子はつくってるな」「あ、この子はつくってないな。でも考えてるっぽいな」
「この子はちょっと待ってみよう。二分くらいかな。」「あ、この子遊びだした。なんかこっちからアクション起こさないとな」っていう風に、空気をつくる。
空気をつくるというのは、具体的にはどんなことをされますか。
まあ基本的に自由に動いていいんだけどね。でもこの子もこの子もこの子もつくってない、じゃまずいから、つくりだすためのアクションをする。セロハンテープを何気なく置いてみたり、サンプル作品や参考例を出してみたり、いろんな材料を出してみたり…「ものをつくりたい」って気持ちが出てくるようなことだよね。
言語化しにくい部分もありますよね。こどもとおとなの間合いの取り方というか。物理的な、近い・遠いの距離感も含めて意識をしていく、ということですよね。大人がどこに立ってるかだけでも、こどもたちの反応は変わってきますよね。
うん。特定のひとりの子に話しているようで、実は周りに向けても伝えたいことだったりするから少し意識したり。保育士さんとかが日々やってることだと思うけど、記憶に残さないように邪魔にならないように、こどもに感じてもらう。